文系大学生の平穏な日々

文系大学生と外国人講師

私の大学は英語教育に力を入れており特に文系の学生はToeicを含めてハードルを高く設定してあります。英語は好きですが試験ありきのカリキュラム構成には若干うんざりしています。試験と英語より、仕事と英語を結びつけるほうが上達面でも現実的だと常々思っていました。

先日授業を受けている外国人講師が食堂にいたので拙い英語で話しかけて一緒に昼食をとることになりました。話題は英語の学習よりも、英語を何のために学び何に役立てるかということでした。

大学で英語を学んでもせいぜい「ミソスープ」など日本の食べものの紹介しかできないのでは意味が無いと講師は話していました。講師は日本が単一民族・単一言語でずっと成り立ってきたので異文化との交流やその難しさを理解できない、もしくは理解する必要がなかったと解説してくれました。

本当に相手の外国人が何を話したいかを想定してみればどのように論を展開すればよいか何を知っていればよいかある程度見えてくると思います。

例えば「コメ」の話をするなら日本では長く年貢として税金の意味合いがあったこと、また武士の給料なども15石など年間に一人の人間が食べる米の量を基準にしていたなど下手など日本人独特の知識や解釈並びに経験を異文化の人間に伝えることが面倒でも価値があると思います。

講師はカレーを食べて私は焼き魚定食を食べていました。講師は日本に来て始めてカレーを食べたそうです。インドの食べ物を日本風にアレンジすることは素晴らしいですが、ある意味なぞっただけだとも言えます。

世界的に肥満に悩む人間がいるからこそヘルシーで素朴な日本料理のそばやおひたしなどもっと訪日外国人含めてアピールしてもいいと思います。

ただ語学習得をはじめ時間や労力はもちろんかかります。異文化に触ることはできても体験したり時にぶつかり合ったりコストや悩みを伴いながら一緒に何か行えないのは大学のサークルでサッカーをしたり、飲み会をしたりなんとなく楽しい充実感を確認しあっている大学生の関係に似ています。

理系でいつも忙しく夜遅くまで残っている学生の話を聞くと大変だろうなと思うと同時に羨ましくも思います。忙しいか、忙しくないかという問題よりも私はこういう人間でこういうことをやっている、それが言えません。

多くの文系大学生は幸せでも不幸でもない代わりに、全力で何かにぶつかれない状態だと思います。

講師は日本に来てカレーを食べたり授業をしたり何かを習得したり、今現在すでに自己証明できますし、次の自己証明に進んでいると思います。そんなことを思いながら重い気分で午後の講義に向かったのでした。